ユーモアから始めれば | メロンパンブログ

ユーモアから始めれば

物言いの記事はこれがお初となるので、簡単にこのコンテンツの概要を説明します。

まず、この物言いは言葉どおり解釈すると軍配に待ったをかけて勝敗の審議を行う、ということになります。
この意味を踏まえて、毎度バカをやろうとしてる僕たちに真面目な立場からも考えを述べていこう、と自らに対して待ったをかける要素として作ったコンテンツです。

ちょっとおバカに疲れた時は、ここで一味違った僕らを見て頂けたら嬉しく思います。


さて本題に戻りまして、今回の物言いは「ユーモア」について私見を述べたいと思います。

例えばインターネットで「ユーモア」で検索すると、数多くのサイトがHITします。それほどユーモアという言葉は広く浸透し、使われている言葉なのでしょう。

では何故、今ここで僕は改めてユーモアについて語ろうと思ったのかそこからお話します。

まず、この「ユーモア」この言葉は古くはラテン語で「体液」という意味で使われていたものらしいです。そこから人にとって無くてはならない不可欠なもの、として認知されていくようになりました。

今でこそユーモアとはジョークやウィットとほぼ同義のものとして扱われていますが、私が思うにジョークやウィットはあくまで頭の思いつきのレベルであり、タイミングの妙が問題となるものだと考えています。

俗に言う‘頭の切れる人’はこのジョークやウィットに富んだ方といえるでしょう。
しかし「ユーモア」とは相手のことを思いやり、相手のために暖かい雰囲気を作りたいと思う、心から心へのコミュニケーションとして内的に作用するものです。

ここがジョークとユーモアの最大の違いでしょう。
そもそもジョークは訓練で多少は上達するものですが、ユーモアは相手を思うところから自然と生まれてくるのですから。

ドイツで一番有名なユーモアの定義は、「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うことである」と言います。
相手を大切に思い、だからこそ楽しませてあげたい。
そんな気持ちをもっと多くの人が共有できたらきっと最高に面白い世の中になるでしょう。

何が言いたいのかはっきりとしていなくて申し訳ないのですが。

もちろん、僕自身そんな大した人間ではありません。
そもそもこの世に完璧な人間などいるのでしょうか?
誰しも足りない部分や何かしらのコンプレックスを抱えて生活しているでしょう。
そのマイナス要素を背負い込むのではなく、あえて相手に笑ってもらえるようにしてみたら楽になれるとおもいませんか?

自己風刺のユーモアは、追い込まれた状況から最大のチャンスを作りうる武器になり得るのではないでしょうか。

土俵際に追い込まれた時、その状況を笑って受け入れるだけの心の余裕を作っておくことで、新しい道を切り拓いていける人。

そんな人に私はなりたい。

ケイ