可視工船 | メロンパンブログ

可視工船

人は見たいものを見る。


妻と死別してどれほどの期間が過ぎたのだろう。
ふとカレンダーに目をやる。

「まだ45日と経ってないのか…」
「一緒にいた頃はあっという間に時間なんて過ぎていたのに。」

仕事に追われ、いつの間にか仕事をすることでしか自分を確認できなくなっていた。
妻との時間を持つことも無く。

結局俺はあいつを幸せにしてやることも出来ずじまいだった。

もっと妻の笑顔を見たかった。明るい声を聞きたかった。
俺は、一体この5年という月日を無駄に過ごしてしまったのかもしれない。
そして妻の5年もの月日を無作為に奪ってしまったのかもしれない。

「失ってから気付くようじゃ、な。」

当たり前の日常は、当たり前過ぎて、とかく見落としてしまう。
分かっていても、分からない。
今では妻の些細な事一つ一つに怒ることも、笑うことも出来ない。感謝することも。

「妻に会いたい。」

叶わぬ願いを思い、下にうつむく男。
会ったところで何が出来るものか。

いや、一つあった。
一言、妻に言い忘れた言葉だけ。


思えばいつも妻には素直な気持ちを伝えていなかった。
怒り、不満をひたすらにぶつけていてばかり。
果たして妻はどのような心境で受け取っていたのだろう。
素直でなかったのは俺の方だった。

そんな事を思っていた晩、空に不思議な船が浮かんでいるのを見つけた。
まばゆい光を放ち、ゆっくりゆっくりと飛んでいる。
やがて船は男のいる方へ進路を変えて、近づいてくる。
まるで男を迎えにきたように。
そして船の放つ光が男を包んだ。


目が覚めて男はベッドの上で体を起こす。

「夢・・・か。 少し休養でも取ろう。」

食事を取る為、階段を降りる男。
何故だろう、今日はいつもと変わらぬ、慣れたはずのこの階段がやけに新鮮だ。

「妻への気持ちに気付いたから、か? いよいよ俺もヤキが回ったな。」

可笑しく思い一人笑う。
と、

「何がそんなに可笑しいの? 今日はやけに気分がいいのね。」

目の前の光景は幻か?
それともいまだ夢から覚めていないのか?

「ふふ、どうしたの?そんな表情して。 変な夢でも見た?」

「あぁ・・いや、なんでもないよ。うん、なんでもないんだ。」

「おかしな人。仕事のし過ぎじゃない?」

「そうかもな。ちょっと疲れてるのかもしれないな。
 そうだ、週末は旅行に行こう。たまにはいいだろう。」

「・・・大丈夫?いつものあなたらしくないけど。」

「どういう意味だよ?」

「いつもなら、仕事のし過ぎだ、なんて言ったら、すごい剣幕で
 『男が仕事に尽くすのは当たり前だ!』なんて怒ってたから。」

「・・・それは、そうだったな。」

「でも、やっと気持ちが変わってくれてすごい嬉しい。」

「迷惑かけてばかりだったからな、申し訳ない・・・」

「謝らなくてもいいのに。あとね、きっと旅行は無理だと思う・・」

一瞬、妻の顔に影が落ちるのを見た。

「なんだよ、それ? 無理なことなんてないだろ!」

曖昧な妻の発言に思わず感情が昂ぶる。
否定しないと妻が消えてしまうような気がしたから。
想像したくない考えを必死に消そうと叫ぶしか出来なかった。

「あぁ、また。また同じ事の繰り返し。 どうしてそうすぐ怒るの?」

「おまえが訳の分からないことを言い出すからだろ!」

あぁ、何故俺はこうも気持ちと裏腹な言葉しか出てこないんだ。
感謝したい気持ちでいっぱいなのに、目の前にすると出てこない。

「どうして分かってくれないの!?
 あぁ・・こんな喧嘩をするために毎日祈ってたんじゃないのに!!」

言ってから、あ、と口を抑える妻。
眼には大粒の涙が溢れている。
男にはその意味が分からない。
しかし、男の体には明らかな異変が起こり出した。

「そうか、そういうことだったのか。」

透けていく我が身を眺めつつ、男は全てを悟った。


死んでいたのは俺の方か。


消え行く目の前の景色の中に、うっすらと妻の姿が見えた。
何をしているのか。
目をこらす。

「あの人が息抜くことを覚えますように。
 死んでからも働き続けることのありませんように。」

俺が死んでから、毎日こいつは祈っていたのか。
どうしてこいつはこんな俺のためにここまで思ってくれるのか。
どうして俺はこいつの本当の気持ちに気づいてやることが出来なかったのか。

思って自然と言葉が口を割る。


「ありがとう」


この言葉を言うために、どれだけ月日をかけただろう。
たった一言、言うが為に。
見ると妻が笑っている。涙を流して、笑っている。

「はじめて、言ってくれたね。 ありがとう。」



通じる二人の、二つの想いが重なる時。

可視工船は、想いを載せて、今日も飛ぶ。


ケイ